Pragmatic Transfer in Consolation: A Case in Japanese EFL Learners
関山 健治
キーワード:中間言語語用論,語用論的転移,比較文化語用論,ポライトネス・ストラテジー
要旨
本論では,日本人英語学習者が英語で慰めのことばをかける際にみられる母語からの語用論的転移と,学習者の英語力との相関を,発話の量という観点からの考察を中心に行う。日英語母語話者と日本人英語学習者(標準・上級)の4グループの被験者を対象に行った談話完成テストの分析の結果,英語運用能力の高い上級学習者であっても,母語による影響は多く見られた。とくに,社会変数に応じて発話をコントロールする,語用論的なスキルに関しては課題が多く,それがことばの問題以上の誤解を生む原因ともなりかねないことが明らかになった。この結果を通して,中間言語語用論における,上級学習者をターゲットにした研究の必要性が浮き彫りとなった。
−悲しんでいる人たちは,さいわいである。彼らは慰められるであろう−(マタイによる福音書・5章4節)
文法,発音といった,表面的な英語力1にはほとんど問題がなく,英語を聞き,話すことにも習熟している日本人でも,時として英語母語話者との間に誤解をひきおこすことがある。多くは,語用論的な誤りに起因するものであるが,この種の誤りは,母語話者にとっては「あの人は無礼である」,「ものの言い方を知らない」などと,言葉の問題をこえて,人格的にもマイナスのイメージを与えかねない。
本論では,日本人英語学習者が英語で相手を慰める際にみられる,語用論レベルでの母語からの転移(pragmatic transfer)を,談話完成テスト(Discourse Completion Test: DCT)により検証する。その際,従来の中間言語語用論(Interlanguage Pragmatics: ILP)や比較文化語用論(Cross-Cultural Pragmatics: CCP)の研究においてほとんど扱われていない,学習者のgrammatical competenceとpragmatic competence2の相関の考察も試みる。これを通して,日本人英語学習者,とくに上級レベルの学習者が潜在的に持つ社会言語学的,語用論的な能力に関する問題点を浮き彫りにし,それらを克服するにあたってのポイントもいくつか示唆していきたい。
2. 理論的背景と本研究の目的
2.1. 慰めという発話行為の特質
本論では,不幸や困難に直面している相手に対して,それらを緩和することを目的として行う発話行為を,「慰め」と定義する。これには,相手の不幸や困難を理解する内容の発話(同情,共感)と,相手を勇気づけ,困難や不幸から立ち直る手助けをする内容の発話(激励)が含まれるが,ここでは,これらを一括して論じる。
何らかの困難や不幸に直面している者は,「自分の不幸を理解し,温かい言葉をかけてほしい」という感情を持っている場合もあれば,逆に,「声をかけられるとよけいに辛くなるので,放っておいてほしい」という気持ちを持っていることもあろう。Brown and Levinson (1987: 61)のポライトネス理論(politeness theory)によると,前者のような状況では,相手の積極的フェイス(positive face)を守るために,積極的に慰め,激励といった発話行為を行い,逆に,後者の場合は,消極的フェイス(negative face)を守るために,何も言わないでそっとしておくことがpoliteであるとされる3。
このことからも,「慰め」という発話行為は,主に消極的フェイスを保持することが中心となる発話行為(依頼など)や,積極的フェイスの保持が主体となる発話行為(褒めなど)と異なり,相反する2種のfaceが混在しているので,慰める者は,相手の心理状態を的確に予測し,慰めの言葉をかけるべきか,黙っておくべきかの選択を迫られることになる。したがって,「慰める」という行為は,母語で行う際であっても,非常に複雑かつデリケートな行動の一つであると言えよう。これは,お悔やみ表現等を集めた,いわゆるマナーブックの類が一般向けに数多く出版されていることからもうかがえる。
2.2. 中間言語語用論の研究動向と本研究の問題提起
近年,第二言語習得研究において,学習者のコミュニケーション能力(communicative competence)に焦点をあてた研究が盛んになされてきている。ILPやCCPのような,外国語学習者の語用論的能力(pragmatic competence)を扱う研究もその一例である。しかしながら,その大半は「依頼」(Blum-Kulka 1990,Kawamura & Sato 1996など),「謝罪」(Cohen & Olshtain 1981など),「断り」(Beebe & Takahashi 1990など),「褒め」(Wolfson 1981, Sekiyama 1996など)といった,比較的単純な発話行為を扱ったものであり,2.1.でふれたように,母語でも非常に難しい「慰め」という発話行為が研究対象となることはなかったと言ってよい。また,日本におけるILP, CCPの研究は,日本語教育の視点からなされているものが多く(志村・生駒 1993,横田 1986など),日本人英語学習者の語用論的能力に関する問題点を検証した研究は,その必要性のわりに,まだまだ少ないのが現状である。
2.3. 本研究の目的とResearch Questions
本研究は,関山(1998)をもとに,2.2.で述べた状況をふまえ,新たに収集した日本人英語学習者と英語母語話者のデータの分析が中心となる。すなわち,日本人英語学習者が英語で慰めの言葉をかける際にみられる量的,質的な特徴と,母語による影響を,以下の3点を中心に考察していく。なお,日本語の慰めの特徴に関しては,関山(1998)で詳述しているので,(1)に関しては,日英語間での対照が中心となる。
(1)日英語の「慰め」の発話にはどのような特徴がみられるか?
(2)日本人学習者が英語で慰める際に用いるpoliteness strategy4は,学習者の英語力とどのような相関がみられるか?
(3)慰める場面の深刻さ(Severity: SV)という社会変数は,慰める際の発話量にどのような影響を及ぼすか?
具体的には,以下の3種の仮説を検証することになる。
仮説1:日本語で慰めを行う際は,negative politenessの影響を受けやすくなるため,英語の場合にくらべ,発話量は少なくなる5。
仮説2:学習者の英語力が高ければ,母語からの転移も少なくなる。したがって,上級学習者による慰めの発話においては,negative politenessの影響を受けにくくなるため,発話量が平均的なレベルの学習者にくらべて相対的に多くなる。
仮説3:SVが大きくなれば,フェイスを脅かす危険性も高まるので,より丁寧度の高いpoliteness strategyを用いるようになる6。その結果,SVが小さい場面にくらべて発話量は少なくなる。
3. 調査の概要と分析方法
3.1. 調査対象
調査は,日本人大学生とアメリカ人の留学生(合計208名)を対象に,1997年1月〜11月にかけて行った。対象者の内訳は表1のとおりである。
日本人大学生は,すべて愛知県内の4年制大学生を対象とした。このうち,英語非専攻(経済学部,商学部)の学生には,日本語で回答させ,英語を専門とする学生(外国語学部英米語学科,文学部英文学科)には,英語で回答させた。英語を専門とする学生は,TOEFL,TOEIC,実用英語技能検定試験(英検)の取得スコア(級)を自己申告してもらい,TOEFL 550以上,TOEIC 730以上,実用英語技能検定 準1級以上,のいずれかを満たす者をJEA,それ以外の者をJEIに分類した。
J 日本人日本語話者 70名 日本語
JEI 日本人英語学習者 (Intermediate) 57名 英語
JEA 日本人英語学習者 (Advanced) 50名 英語
E アメリカ人英語話者 31名 英語
表 1:調査対象者の内訳
3.2. 調査手段と分析方法
何らかの形で「慰め」の必要な場面を設定した,談話完成テスト(Discourse Completion Test: DCT)を用いて行った。場面は,SVが比較的大きいもの(3種類)と,小さいもの(3種類)の計6場面(表2参照)から構成され7,いずれも自分ともっとも親しい,同性の友人に対して慰めることを想定し,その発話を記入させた。
分析にあたっては,別表のカテゴリーを用いて,節単位でコーディングを行った8。また,各回答における節の数の平均値を,1人あたりの平均発話量として算出した9。
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表 2:調査紙の場面設定とSVの大小
4. 結果と考察
4.1. 「慰め」の発話内容〜質的分析〜
本節では,慰める際の発話内容を,質的な点を中心に考察する。表3は,各グループの調査対象者の全発話に対する,各カテゴリーの出現比率を,SVの大小で分類したものである。
まず,母語話者間(J/E)で比較してみよう。日本人(J)の場合は,SympathyとPositive Encouragementが若干多いとはいうものの,各カテゴリー間でそれほど際だった差は見られず,すべてのカテゴリーにわたってほぼ均等に出現している。一方,アメリカ人(E)は,Sympathyにかなり偏って現れている。このことからも,アメリカ人の場合,慰める際の伝達内容自体は非常に単純で10,そのぶん,次節で述べるような,発話量の多寡により,変化を持たせていると言える。
日本人英語学習者(JEI, JEA)のデータを見てみると,全体的にPositive Encouragementが発話の中心を占める11が,JEAはPositive EncouragementにくわえてSympathyも多かった。日本語において,Positive Encouragementに属する定型表現が多いことをふまえても,母語による影響がみられる。Sympathyの出現数がJEIとJEAで大きく異なったのは,学習者の語用論的能力の差に加え,英語におけるSympathyという発話行為自体が,平均的な学習者にはなじみが薄いということも考えられよう。
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表 3:「慰め」の発話内容
つぎに,量的な考察として,各調査対象者グループ間での平均発話量の差異に関して考察していく。表4は,SVの大きな場面と小さな場面での平均発話量を一覧したものである。仮に,全員の発話量が1,すなわち,節の数が1であれば,ここの数値は1.00になる。
まず,母語話者間で比較してみよう。SVを考慮に入れず,全体的にみると,Eの平均発話量が1.51であるのに対し,Jは1.20であり,Eの発話量のほうが明らかにJよりも多かった。このことは,アメリカ人はpositive politenessを多く用いる傾向があるという,Brown and Levinson (1987)の説を支持するかのように見える。
しかしながら,SVの大小を考慮に入れた比較をしてみると,Eの場合,深刻さの度合いが高い場面での慰め(SV+)の平均発話量が1.32,低い場合(SV-)が1.69と,大きな差12がみられた。このように,アメリカ人の場合,SVが大きい場合の慰めにおいては,発話量が大きく減少することからしても,日本人同様,negative politenessを用いる傾向が強いということが浮き彫りとなった。一方,JはSV+の場合が1.21,SV-が1.18であり,SVの発話量への影響はそれほどみられなかった。
この結果をまとめると,アメリカ人の場合,慰める際にその場面が深刻であるか否かを意識し,状況に応じてpoliteness strategyを使い分けているのに対し,日本人は,どのような状況であろうとも,慰める際にはnegative politeness strategyを用いる,すなわち,深刻な場面であっても,そうでない場面であっても発話を抑える傾向があると言えよう。
学習者の発話はどうであろうか。全体的に見ると,学習者の英語力によって発話量は大きく異なり,JEAの発話量の平均が1.97であるのに対し,JEIは1.05であり,上級学習者の発話量のほうが圧倒的に多かった。先ほどふれた母語話者間での比較結果を踏まえても,JEIの発話量が少ないということが,母語からのpragmatic transferを示唆していることは,明白であろう。もっとも,JEIの場合,母語によるtransferの影響に加え,単に,自分の意思を自由に表現できるほどの英語力を持ち合わせていないためであるとも考えられるので,この結果だけでは何とも言えない。
このように,慰める場面に関わらず,JEAの発話量が全体的に多くなる傾向がみられた原因として,アメリカ人には,黙っているよりは,自分から積極的に声をかけ,自分の気持ちを明示的に伝えたほうがpoliteであるという意識がJEAには存在し13,その結果,積極的に慰めの言葉をかけようとしていることが考えられよう13。しかし,その平均発話量は,とくにSV+の状況においてはEの平均発話量をかなり上回ってしまい,それが時としてintrusiveな印象を与える場合も少なくない。慰める際,アメリカ人は,日本人以上にSVを意識することは先にも述べたが,上級学習者といえども,このような,社会変数が発話に及ぼす影響に関しては無頓着であることが,この結果からも浮き彫りとなった。
一方,SVの大小による発話量の差違をみてみると,JEI, JEAのいずれにおいても,アメリカ人ほどの差は見られなかった。すなわち,社会変数による発話量の調節はほとんどなされていないことが,ここからもうかがえる。これは,程度の差はあれ,上級学習者にしても同様のことが言える。先にふれたように,日本語での慰めはSVの影響をあまり受けないということからしても,母語からのpragmatic transferがみられると言えよう。
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表 4: SVの大小と平均発話量
5. 結論
以上の結果から,本研究は次のようにまとめられる。
6. 英語教育への示唆
6.1. いかに「言うか」+いかに「言わないか」
本研究を通して明らかになったことの一つに,JEAの発話量の多さがあげられる。ことばを多くかけるべきときに言わな(言えな)かったり,逆に,ことばを抑えるべきときに多弁になってしまったりすることは,いずれも,語用論的能力に関する問題点とされるが,後者のほうが円滑なコミュニケーションをする上では大きな障害となる。すなわち,冒頭で述べたように,前者は単なる「英語運用能力の不足」として片づけられるのに対し,後者は,話者の人間性,性格に問題があるとも解釈されかねないからである。従来の英語教育現場でのコミュニケーション活動においては,いかに「言うか」に重点がおかれてきたことは否めない。しかしながら,実際のコミュニケーションの場面においては,それにくわえて,いかに「言わないか」も重要であることが,本研究を通して明らかになった。とくに,日頃から英語圏の人と接する機会が多く,英語を話すことが苦にならない,上級レベルの学習者が陥りがちな罠であるので,注意したい。
6.2. 社会言語学,語用論的能力の養成
4.2.で述べたように,日本人学習者の発話は,JEI, JEAのいずれにおいても,社会変数による差がほとんど見られなかった。これには,先に述べたように,母語の影響もあろうが,従来,日本で編集されている会話テキストの多くが,場面シラバス(situational syllabus)を採用していたことも原因の一つとして考えられよう。場面シラバスに則ったテキストでは,レストランで食事を注文するときの会話,道を尋ねるときの会話,というように,具体的な場面において用いられる決まり文句やモデルダイアローグを提示し,それを暗記したり,ペアでロールプレイをしたりする活動が主体になっている。
確かに,特定の場面でよく用いられる語彙をまとめて提示できるという点で,場面シラバスは優れているが,一方で,場面ごとに区切ってしまうと,あらゆる場面に共通する社会言語学的要因(話者間の関係や場面の改まりの度合いなど)の重要性が見過ごされてしまうきらいもある。今後は,ILPやCCPの知見をふまえ,発話行為別に配列した機能シラバス(functional syllabus)も積極的にとりいれることにより,話す相手との関係や周囲の状況に応じて適切な表現を選択する能力を育成する必要があろう。このような英語運用力をつけることが,「慰め」をはじめとした,非常にデリケートな発話行為を習得するにあたっての大きなステップとなることと確信する。
6.3. 語用論的能力と学習者のアイデンティティ
ILPの成果を実際の英語教育現場で採り入れる際に気をつけねばならない点として,目標言語の文化において規範的な行動様式を,無意識のうちに学習者に植え付けてしまうことがあげられる(平賀・藤井 1998: 96)。すべてを無理に目標言語に合わせるのでなく,コミュニケーション上の障害を引き起こす語用論的,社会言語学的な誤りを中心に指導し,学習者の母語におけるアイデンティティーをも尊重していく必要があろう。
7. 今後の課題
本研究は,関山(1998)をもとに,慰め表現の諸相を第二言語習得研究の観点から考察したものであるが,時間的,コスト的な制約もあり,データ収集の方法論や分析方法に関して,多くの課題を残している。
方法論的な課題としては,結果を統計的手法で処理することに加え,role-playやinterviewなどによるデータも収集し,より実際の話し言葉に近い条件での考察の必要性があげられる。このことは,今回行ったDCTによる調査が不必要であるというわけではない。DCTは,データの妥当性には難があるとはいえ,大量のデータを比較的短時間に,かつ安価に収集できるという点では,他の方法の追従を許さないものがあるからである。今後は,Sasaki (1998)やCohen (1996)も指摘しているように,DCTによる量的な分析とrole-playやinterviewなどによる質的な分析を組み合わせた,マルチメソッド(multi-method)を採用することにより,より大規模かつ信頼性の高いデータ収集を行う必要があろう。
分析,考察にあたっては,談話分析,社会言語学,コミュニケーション論などの隣接諸領域の知見をとりいれていく必要がある。「慰め」に大きな影響を及ぼすと思われる非言語的要素,とくに,沈黙(silence)の度合いの考察は,発話量以上に信頼のおける手がかりを与えてくれよう。社会言語学,異文化コミュニケーションの見地からは,関山(1998)で行った,話者の性別と慰めの発話への影響の考察をふまえ,性別による差異や,話者間の親疎関係(psychological distance)といった,SV以外の社会変数を考慮に入れた分析,Hiraga and Turner (1995)でも述べられているような,学習者の英語圏での生活経験が発話に及ぼす影響に関する調査の実施等も,今後の課題として検討していきたい。
参考文献
Blum-Kulka, Shoshana. 1990. Interlanguage pragmatics: The case of requests. Foreign / Second Language Pedagogy Research, ed. by Robert Phillipson, et. al., 255-72. Multilingual Matters.
Brown, Penelope., and Stephen C. Levinson. 1987. Politeness: Some Universals in Language Usage. Cambridge: Cambridge University Press.
Canale, Michael., and Merrill Swain. 1980. Theoretical bases of communicative approaches to second language teaching and testing. Applied Linguistics 1. 1-47
Cohen, Andrew D. 1996. Speech acts. Sociolinguistics and Language Teaching, ed. by Sandra McKay and Nancy Hornberger, 383-420. Cambridge: Cambridge University Press.
Cohen, Andrew D., and Elite Olshtain. 1981. Developing a measure of sociocultural competence: The case of apology. Language Learning 3. 113-134.
Hiraga, Masako K., and J. M. Turner. 1995. What to say next? The sociopragmatic problem of elaboration for Japanese student of English in academic contexts. JACET Bulletin 26. 13-30
平賀 正子,藤井 洋子. 1998. 「日本人のコミュニケーション行動と英語教育−比較文化語用論からの展望−」 『複雑化社会のコミュニケーション』 88-99. 明治書院
生駒 知子,志村 明彦. 1993. 「英語から日本語へのプラグマティック・トランスファー−「断り」という発話行為の場合」『日本語教育』 79. 41-52
Kawamura, Yoko., and Keiko Sato. 1996. The acquisition of request realization in EFL learners. JACET Bulletin 27. 69-86.
Sasaki, Miyuki. 1998. Investigating EFL students' production of speech acts: A comparison of production questionnaires and role plays. Journal of Pragmatics 30. 457-84.
Sekiyama, Kenji. 1996. Pragmatic Transfer among Japanese EFL Learners: The Case of Responding to Compliments. Unpublished M.A. Thesis. Nanzan University.
関山 健治. 1998. 「日本語の「慰め・激励」表現にみられるPoliteness Strategy ―話者の性別と社会変数による影響・大学生の場合―」 『白馬夏季言語学会論文集』 9. 11-17
Wolfson, Nessa. 1981. Compliments in cross-cultural perspective. TESOL Quarterly 15. 117-24
横田 淳子. 1986. 「ほめられたときの返答における母国語からの社会言語学的転移」 『日本語教育』 58. 203-23
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相手の困難や苦労に同情したり,相手を認める。 |
「大変だったんだねぇ」
「一所懸命努力していたと私は思うよ」 |
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当事者以上に苦しんでいる者の例をあげることによって,当事者の苦しみを相対的に和らげる。 |
「私の時はもっとひどいこと言われたよ」
「2000円だけでよかったじゃない。私なんか定期やカードの入った財布を盗られたんだから」 |
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客観的なコメントや注意を与える。 |
「今度はもう少し早く家を出た方がいいよ」
「財布はカバンに入れておけば,すられないよ」 |
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相手の感情に訴える内容で,励ます。 |
「気持ちを入れかえて頑張ろうよ」
「すぐ素敵な男に出会えるよ」 |
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相手に協力する旨を表明する。 |
「もし私でよければ話聞くよ。」
「お家のほう,大変だったら手伝うわよ」 |
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(話題を変える,冗談にするなど) |
「あんた授業中でも熟睡できるのに,犬の鳴き声ぐらいで寝られないの?」 |
* 本論は,1998年3月24日に行われた,横浜「言語と人間」研究会 第24回春期セミナーの口頭発表の内容をもとにしたものである。発表内容に関して貴重なコメントを下さった,平賀正子先生,神田和幸先生をはじめとした参加者の皆様と,本論の草稿に目を通して下さり,筆者に厳しくも有益な示唆を与えて下さった,匿名の査読委員の先生方(2名)と,佐々木みゆき先生,武黒麻紀子氏をはじめとした諸先生,友人の方々に心から感謝申し上げます。
1 本論では,便宜上,語用論的,社会言語学的能力以外の英語能力を「英語力」と称する。
2 外国語学習者の種々のcompetenceに関しては,Canale and Swain (1980)を参照。
3 Face theoryとpoliteness strategyの詳細は,Brown and Levinson (1987),
関山(1998)を参照。
4 Politeness strategyには様々なものがあるが,本論では,場面に応じて,発話の量を適切にコントロールすることをpoliteness
strategyとして扱う。
5 Brown and Levinson (1987: 245)は,「日本語はnegative politeness主体の文化,英語はpositive
politeness主体の文化に属する」としている。
6 Brown and Levinson (1987: 60) によれば,相手のfaceを威嚇する度合いが大きくなるにつれ,以下にあげるストラテジーのうち,番号の大きいものを用いる傾向があるとされる:
(1) あからさまに言う (without redressive action, baldly),(2) 積極的配慮を示した言い方をする
(positive politeness),(3) 消極的配慮を示した言い方をする (negative politeness),(4)
言外にそれとなくほのめかす言い方をする (off record),(5) FTA自体を行わない
(don't do the FTA)
7 SVの大小は,本研究の調査対象者とは別の者を対象に行った,場面の深刻さの大小に関する7段階スケールでのレイティング調査の結果をもとに決定した。
8 たとえば,"I know how you feel, but take it easy."という発話の場合は,SympathyとPositive
Encouragementにコーディングし,発話量2と算出した。なお,今回の研究では,コーディングは筆者1人で行った。「慰め」という発話の性質上,比較的似通った内容の発話が多かったため,どのカテゴリーに分類するかを判断するのは容易であったが,調査の信頼性を高めるためには,今後,複数名でコーディングし,inter-rater
reliabilityを示すなど,調査方法の抜本的な見直しが必要であろう。
9 今回は比較的多量のデータを短時間で処理する必要もあり,節の数を発話量とみなして処理したが,これには異論もあろう。「発話の量」をどう定義付けるかは,結果の解釈にも大きな影響を及ぼす点であるので,今後の重要課題としたい。
10 英語母語話者の発話は,"(I'm) sorry to hear that."が大部分を占め,日本語母語話者の発話にくらべ,変化に乏しかった。
11 具体的には,「元気出してね」「気を落とさないでね」のような発話である。
12 今回の調査では統計処理を行っていないので,この差が有意なものであるか否かを検証することはできなかった。
13 調査紙の余白の感想欄に,数名のJEAの調査対象者がこのように記入していた。
14 これに関しては今後,他の社会変数も考慮に入れた調査を行うことにより,日本人にとって影響を受けやすい社会変数が何であるかに関しても検証していく必要があろう。