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嘘つきは語用論の始まり −「語用論」はこんなことを研究します−

言語学をやっていると,電車の車内広告や店の看板などに書かれていることばや案内放送,他の乗客の会話などにも自然に目(耳)がいってしまいます。それが直接研究や論文のネタになるかどうかはともかく,「あれっ」と思ったものはその場でデジカメなり,メモなりに撮っておくようにしています。電車やバスの中で,広告を見ながらメモをとっている人を見たら,言語学者と思って間違いない,かな!? 次にあげるのも,その中の一つです。

「なんか,あったかそうだな」

先日見かけた,飛騨高山をPRするJR東海のイメージポスター(写真)に書いてあったコピーです。

雪国のポスター (336*448 GIF)

あたりは一面の雪景色,ちっとも「あったかそう」ではありません。わたしも,最初にこのポスターを見たとき,「嘘つけ!」と思いました。でも,「戸外は雪が深く積もっていて寒いけど,民家の中では,ストーブやこたつを囲んで,家族が団らんをしているから,暖かそうだ(部屋の室温はもちろん,家族のきずなの温かさという意味でも)」と解釈することだってできます。実際,このポスターをみた成人の日本人の多くは,そんなふうに理解するでしょう。

広告をデザインする人は,いかにインパクトの強い広告にするか,ということを第一に考えます。そのために効果的な手法は,意外性をもたせるということです。明らかに寒そうな写真に,「あったかそうだな」と(一見)嘘をついたコピーを載せれば,見る側の印象は強くなります。これが,「なんか,さむそうだな」と「正直に」書いてしまうと,「そうだね,だからどうしたの?」で終わってしまいます。

「ポスターには民家の中の様子までは写っていないのに,何で家族が団らんしているとか,きずなが強いとか勝手なことが言えるのか? 空き家かもしれないじゃないか!」と思うかもしれません。確かに,このポスターの表面に現れている情報(写真やコピーといった,目で見える情報)のみを頼りに分析するとその通りで,「嘘つきポスター」になります。でも,実際に,JR東海にそんな文句を言う人はまずいないでしょう(かなり長い間,このポスターが駅に貼られてあることからしても)。ここからも,私たちは,ことばを理解するときに,表面に現れている情報だけでなく,目には見えない情報も頼りにしているんだということが分かります。こんなメカニズムを研究するのが,語用論(pragmatics)という分野です。「嘘つきは泥棒の始まり」なんて言われるけど,こと語用論に関しては,嘘を述べた文章も(場合によっては)貴重な研究資料になります。

語用論では,ことばを発したり,理解したりする上で必要な,目に見えない要因を研究します。先ほどの「なんか,あったかそうだな」という一文を解釈しなさい,と言われれば,形態論や統語論の研究者は「なんか」→「何となく」という意味の副詞,「あったか」→形容詞「あたたかい」のくだけた形である「あったかい」の語幹,「そうだ」→様態を表す助動詞,「な」→詠嘆の終助詞…などと分析するでしょう(このへんはあまり詳しくないので,誤った分析をしていたら,そっと教えてくださいね^^;;)。そして,この文は,「具体的な理由は分からないけれども,何かが,あるいは,どこかが暖かいらしい」という意味であると解釈します。このレベルの解釈は,ポスターの写真がなくてもできます。言い方を変えれば,ポスターからコピーを切り離しても正しい解釈ができるということです。

しかし,語用論の研究者は,ポスターの写真なしで,「なんか,あったかそうだな」というフレーズだけ見せられて分析せよと言われても困ってしまいます。先ほどお話ししたように,ことばの表面に出ないところも考慮に入れるのが語用論なのですから,これがどういう場面で言われたのか,誰が言ったのか,どんな相手に言ったのか,といったような様々な情報(専門的にはコンテクスト(context)と言われます)がないと,語用論的に解釈することはできません。

先ほどのポスターの例では,たまたま合掌造りの民家の写真という大きなコンテクストがあったので,誰が言っただとか細かいことなしでもそれなりの解釈ができました。しかし,例のポスターと「あったかそうだな」というコピーを見れば,誰もが同じ解釈をするのでしょうか? 最初に「成人の日本人の大半は」と書いた理由がここにあるのだけど,おそらく無理でしょう。実験したことがないので何とも言えないけど,あのポスターを,小学校低学年の子供に見せて,どう思う? ときいてみてください。ほとんどの子供,少なくとも,雪がほとんど降らない地方の子供は,「うそばっかり! こんなに雪が積もってるんだから寒いに決まってるじゃないか」と言うでしょう。あるいは,外国人にきいてみても,また別の解釈が出てくるのではないでしょうか。

なぜ,同じ人間が,同じポスターを見ているのに,解釈が違ってくるのでしょうか? この背後にあるのは,わたしが,そして,わたしの解釈に同意してくださる皆さんが,雪国での真冬の生活に関する背景知識(「スキーマ」(schema)なんて言います)を共有しているという事実です。冬の間ずっと雪に閉ざされる地方の人たちは,「家」を,戸外の寒さや積雪の厳しさからシャットアウトし,冬の厳しさを忘れさせてくれる,安らぎの場所としてとらえていることでしょう。雪国に住んだことのないわたしでも,地理の授業で雪国の生活について教わり,あるいは,雪国へスキーに行ったり,旅行へ行ったりといった似たような体験を通して,こういうスキーマを自然に身につけているからこそ,このポスターの伝えたいメッセージが理解できるのかもしれません。

表面には現れなくても,同じ文化圏の人が共有しているスキーマにはどんなものがあるのか? …これも,語用論の研究では興味深いトピックです。これを発展させれば,別のトピックで(たぶん)扱う異文化コミュニケーションやポライトネス(politeness)の研究にも役立ちます。

「そんな細かいことどうでもいいじゃん! ポスターの写真と"あったかそうだな"にギャップがあれば,嘘つき! と怒ればいいだけでしょ? 目に見えないようなことまで考えてやる暇ないよ」ですって? そういう考えもあるでしょうし,正しいと思います。言語学者の中でも,表面に出ていることばのみを研究対象としている人はいます,というか,そういう人たちが大多数です。表面に出ていることばのカタチだけを研究するのでも一苦労なのに,コンテクストだのスキーマだのと言ったことまで考えていたらきりがない,という見方も一理あります。あのチョムスキーにしても,純粋に統語的(目に見えることばのカタチ)な要因以外はほとんど考慮しなかったのですから…(だからこそ,"Colorless green ideas sleep furiously." (無色の緑色の考えが猛烈に眠る)なんていう文章が,意味的,語用論的にはおかしくても,文法的に正しい文の例として,あれほど有名になった,のかな?)。でも,認知言語学がブームになるにつれて,だんだんと言語学の流れも,目に見えるものだけをみるのでなく,目に見えない部分にも光を当てるという方向へシフトしつつあります。エックス線の発明が医学に大きな進歩をもたらしたようにね。

ともあれ,語用論は扱う分野が広い上に,わたしの専門でもあるので,ついつい長くなってしまいました。今回は,語用論の基本というか,どちらかというと文学っぽい内容が中心になりましたが,今度は,社会言語学との接点から,また少し違った語用論の研究についてお話ししましょう。前お話しした研究メニューの図を見ていただければ分かるように,いわば,東京23区の外れにある語用論という町から,離島の一つである社会言語学まで,瀬戸大橋など足元にも及ばない大きな橋をかけようという計画です。大胆かつ無謀な計画ですが,わたしの専門分野もまさにそこにあるわけです。お楽しみに!


(C) Kenji Sekiyama, 1999.ハ All rights reserved

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